「檸檬」「桜の樹の下には」  梶井基次郎

na-kuryu2009-06-07

 ……………、これは、
 
 かっこいい!!

 第一印象。いや、もちろんいろいろなことがあるんでしょうが、もっと読み込めば見えてくるのでしょうが、もういいです。
 かっこいいです。
 その発想が。
 私もいつか本屋に檸檬を置いて去りたい。本当に。


 かつて読んだ、スローリーディングの本には、写経のように書き写すのはあんまり意味がない、と書いてありました。が、やってみました。「桜の樹の下には」で。
 原稿用紙にカツカツカツカツ……
 試験勉強なんて目じゃないくらい集中してたなあ。
 
 結論→写すのは楽しい。
 私が読んだ本に書いてあったことも、まあ分かった気がする。確かに、本を横に置いて、一単語ずつただ書き写す、というのは時間の無駄であろう。
 例えるとしたら、難しい漢字かな。憂鬱の鬱、とか。自分の知らない複雑な漢字を書くときは、「えーっと、ここに木が二つ、間に缶で……」って書く。でも、そうやって書いた漢字って、なんか雰囲気が全然違う(よね?)。うまく言えないけれど、そんな感じなのかも。
 とは言っても、一度その漢字を使って、今度は自分でそらで書くときは、もう変な違和感はない。
 本を写すときは、そんな感じでやっていかなくてはならないのかも。
 機械みたいに「桜」なら「桜」、「樹」なら「樹」って書くだけじゃ、読んだことにはならないよね。まず自分で読んで、意味を捉えながら書いていった。
 ただ写すといっても、さまざまなやり方がある。やり方さえ身につけば、写本ほど楽しいものはない!


 で、いろいろ思った。

 私は今までに、桜の美しさに疑問をもったりしなかった(「たり」の用法が間違ってる!!)。けれど、「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と言われると、なんか納得。なぜだか分からないけど。
 この作品を読む前から、「桜」→「死体」というイメージはどこかであった。日本人共通の意識であろう。
 きっと日本人的感覚として、心のどこかでは桜の美しさに疑問を抱いているのだ。その疑問に一言でばっちり説明。「屍体が埋まっている!」。
 桜がこんなに日本人の心を掴むのは、もちろん、そこになにか浪漫的な美しさを感じるから。
 でも、それだけではなくて。
 「死体が埋まっている」場所で酒宴を開いているというその場の者全員が感じる罪悪感。によって生じる連帯感。それが、日本人に合っているからかもしれない。

 次の桜はまた一年後。